学ぶということは ~浅田次郎『中原の虹』から考えたこと~
2015年06月22日
本日の担当:タカラ
本日もスタッフブログにお越しいただきありがとうございます!
タイトルにあります浅田次郎『中原の虹』は、以前ご紹介した『蒼穹の昴』から続くシリーズです。
→『蒼穹の昴』をご紹介した回(2015/1/8)
http://alphatec-co.com/blog/2015/01/post-329.html
浅田次郎 『中原の虹』(全4巻) http://goo.gl/MBddYq
画像出典 www.amazon.co.jp
さて、突然ですが、本作品中にとても好きな一節があります。
―――――――――――――――
“生きとし生くる者みなすべて、歴史を知らねばならぬ。
(中略)
父の時代、祖父の時代、父祖の時代を正確に知らねば、
おのれがかくある幸福や不幸の、その原因も経緯もわからぬであろう。
幸福をおのが天恵とのみ信ずるは罪である。罪にはやがて罰が下る。
おのが不幸を嘆くばかりもまた罪である。
さように愚かなる者は、不幸を覆すことができぬ。
(略)
能う限りの正しい歴史を後世の学者たちに遺さねばなるまい。
人々がかくある幸福に心から謝することが叶うように。
人々がかくある不幸を覆し、幸福を得ることの叶うように。”
(引用元: 浅田次郎『中原の虹』第4巻 226ページより)
―――――――――――――――
なかなか耳に痛い言葉ですが、私は「学ぶ」ことの本随を見た思いでした。
歴史を知ることは、自分の立脚点を知ること。
今いる足場や地点がはっきりして、ようやく人は次のステップに進むのだということ。
今ここにある自分の現状が何によってもたらされたのかがわかれば、次に自分がどうしたいのかを
考えられるということ。
過去から未来へ、新しい問いを投げかける、そのために「学ぶ」のだということ。
ふと、何も「日本史」「世界史」に限らず、家族の歴史であったり、ここ一カ月の部署内の変化であったり、
身近な歴史=ルーツ、ストーリーが常に自分の糧になるのだと、感じました。
過去を学び、そこで得た「気付き」を「着眼点」として、未来に問いを投げかける。
そんな、ささやかで、エキサイティングで、謙虚な過程が学ぶことであり、それは不幸を覆し、
幸福を得るためのものなのです。
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