報道の自由と責任の所在

2015年02月24日

本日の担当;たかた

 

危険地域への取材行為について今メディアで大きく取り上げられています。

危険であるからこそ取材する使命があるという説と、国家は国民の生命を保護

する責任があるから明らかに危険と判断される行為は未然に防止する義務が

あるという説のせめぎ合いのようです。

 

一般市民の意見としては後者に賛成者が多いようですが、それでもジャーナリスト

の中には強固に報道の自由を主張する人もいます。

 

どちらの言い分もなるほどと思えるのですが、

しかし報道の自由の主張者の意見に決定的に欠落している部分がある様に思います。

 

それは今回の後藤さんの時にも問題になった「責任の所在」です。

つまり取材者が生命の危険にさらされたときその責任はだれが負うべきかという問題です。

後藤さんの時も「自己責任だから政府は身代金の負担も含め救出義務はない」という

意見が一般市民の中での大勢でした。

 

この点を報道の自由の主張者の人々に是非聞いてみたいのですが、

この点に触れているのを聞いたことがありません。

 

私は思うのです。

報道の自由は絶対に保障されるべきである。

そして一方で、通常の危険レベルを超える取材行為は当事者の「完全自己責任」

でもって臨むべきであると。

「自由は欲しいが、自分で責任は負いたくない」というのは子供の論理であると

言いたいのです。

このあたりの感性は欧米では十分に成熟していると思うのですが

日本のジャーナリストと呼ばれる人々並びにそのご家族の覚悟のほどはいかがでしょうか?

ページの先頭へ