悲劇のとらえ方の違いと印象
2015年02月04日
本日の担当;たかた
仏風刺画に関することで、今問題になっている社員12名の殺害事件の他に、
感じた出来事があります。
以前、同じくフランスの週刊誌が福島原発をテーマとして、
原発を背景に手足が3本づつある力士が相撲を取っている風刺画を掲載し、
日本政府が大使館を通じて抗議したことがありました。
日本人としては誠に不愉快でこの合法的な抗議は当然だと思うのですが、
それに対してあった、とある反論が大変印象的でした。
それは「わが国には悲劇を喜劇にかえて克服する文化がある」というもので、
確かにモリエール等の古典的な喜劇は内容そのものは悲劇的あったり、
当事者にとっては深刻なものであったりすることがあります。
そうした文化はやはり日本人には理解しづらい感覚でしょう。
日本人は悲しみや苦しみと真正面から向き合うことを美徳とすることが多く、
悲劇を笑いにかえるなどというのは不謹慎であり逃避的であるという考えが
大勢ではないかと思います。
このあたりいかにもわれわれ日本人は真面目な民族だなと思います。
しかしこの真面目さが時にやり切れないくらい辛く感じることがあります。
阪神淡路大震災から20年ということでテレビでも報じられましたが、
内容がどうしても被災者の悲しみや苦しみ中心で、
私も妻も「もう、いいわ・・・」というため息ばかりが出てきます。
被災された方々には大変申し訳ないのですが、
決して飽きたとかではなく
「もう充分すぎるくらい悲しんだし、思い出すのも辛い。
悲惨さではなく、そろそろもっと別の角度から震災の経験や問題を見つめる時期に来ているのではないか」
というのが正直な気持ちです。
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