「言論・表現の自由」の考え方が日本と欧米では温度差があると感じます。
2015年01月21日
本日の担当;たかた
イスラム過激派によるフランスの風刺週刊誌へのテロという大変な事件が発生しました。
これに対して世界中から非難が沸き起こっており、フランスでは近隣諸国の国家元首も
参加して大デモ行進が行なわれました。
ところでこの件についてとあるジャーナリストがネットにコラムを掲載しており、これが
気になりました。
内容は、今回のデモ行進の規模の大きさに比してテロの対象となった仏風刺週刊誌の
規模の小ささに意外さを示したものでした。
つまり仏風刺週刊誌はせいぜい3万部程度の読者しかおらず、また内容もさほど興味が
わく代物ではないのに、「言論・表現の自由」への反逆として大問題化しているということで、
首をかしげているようなのです。
これを見て私は大変驚いた一方で、やはり日本人だなとも感じた次第です。
確かに私もその風刺画についてはあまり感心しませんが、問題の本質はそこにあるわけでなく、
「言論・表現の自由」は現代社会にとって絶対であり、「言論・表現の自由」があったればこそ、
民主主義が生まれ科学技術が発達したと言えるわけで、
だからこそ一組織の社員12名が殺害された以上の一大事としてとらえられているのだと思います。
例の米国での映画公開に対する北朝鮮の脅迫行為に対して合衆国政府が断固闘う姿勢を
示したことも同じであろうと思います。
映画の内容としてはあまり興味を感じるようなしろものではありませんが。
このジャーナリストの方はおそらく頭では理解しているのでしょうが実感として「それほどの問題なの?」
ということなのでしょう。
このあたりいかにも日本的な感じがしますが、ジャーナリストである以上はそうであってほしくないなあ
と感じた次第です。
これと同じような問題を昨年感じたことがあります。
まだ記憶に新しい例の野次問題です。
これもまた、問題の本質は女性全体に対する侮辱にあるはずなのに、
言われた側の個人的な問題に終始した感が有ります。
また「言うほうも言うほうなら、言われるほうも言われるほう」的な流れに行きかけたこともありました。
こういうところは、もう日本人は変わることはないのかなあ、と思う今日この頃です。
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