採用の意思決定(7)

2014年08月29日

本日の担当:鬼退治
 
今回は就職、採用に関する議論が繰り広げられる際の醜い様相に
ついて考えてみたいと思います。
採用の意思決定の根にあるねじれた思考とその醜さは採用に限らず
組織にも適用され課題解決を遅らせるものであります。
むしろ組織にある輝きの裏にあるダークサイドから表出しているのかも
しれません。
それはそれぞれの立場の偏狭的な思考と拒絶性です。
さらにその思考を形成するのは複雑な思考かと思いきやその大部分を
形作っているのが、これまで取り上げてきた自己顕示と自己保身です。
これは個々の表裏、組織の表裏を入れ子的な2重構造になっています。
冒頭述べた就職、採用特に新卒に関しての意見を述べる場合
教育機関が・・・、保護者が・・・ 学生が・・・・と論を展開していくのですが
これ自体が稚拙な議論で、極端に振れたケースを全体化、象徴化した
詭弁が多すぎるのです。
このような詭弁は組織の中で日常化しているところから出てくるものと
推察します。
問題の本質に迫るよりも自己顕示と保身にいそしみ、問題の解決や
改善は二の次です。
このような個々は本気でより良くしようとは思っていません。
見せかけの大義を振りかざして他を低めることで優位性を保っている
つもりになっているだけなのです。
これが問題をより複雑にしてシンプルな本質から遠ざける正体です。
採用に関して意思決定するには自身以外の関係者は現実そのもので
あると認識することです。
だとすれば受け入れることこそが賢明であり、関係する機関や層を切り
離しては考えてはいけないのです。
その関係機関や層、さらには個の実体が大きく変容しているわけでは
ありません。
したがって悪くなってもいません。
最近の・・・、いまどきの・・・は浅薄な知識と考え方が産み出した都市伝説
やトンデモ話と同様です。
本質という言葉自体が自己矛盾をはらんだ緊張感のある言葉だけに
本質ではない本質を見極めていき、目の前にある様相が漸進すれば効果的
な採用になるのではないかと思うのです。

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