何となく使っているけど結構重要な単語(10)

2014年06月27日

本日の担当:鬼退治
 
これまで、人事の世界、特に採用や人材育成で流通されている単語で
本来、思考、行動、価値を規定してしまう強い装置を安易にまた、
無自覚に使われることに違和感を覚えてその背景に何があるのかを
問うてきました。
 
今回はその単語の使用者とはどのような人たちなのかを考えてみます。
これまで「キャリア」や「モチベーション」、「コミュニケーション」等を
とりあげてきました。
この単語を使っているのは人事に関わる人達かと思いきやそうでも
ありません。
そこが面倒なところです。
人事、採用、育成の最前線以外の人まで「俺の」、「私の」人材論を
語り出すのが厄介なのです。ヒト、モノ、カネの内どうしてもヒトは語り
やすく一見、経営においてヒトに関することは専門性が低そうに
見えますが、そんなことは有りません。
狭い人間関係で得たことをあたかも法則性を見出したかのような
傲慢さと語る側の狭隘な経験至上主義が件の人材論が幅を利かせて
いるのが現実です。
さらになぜ語りたがるのかというと端的に自己保身と自己顕示と
自己利益の誘導の為です。
そこに組織の為、社会の為、人の為というきれいな言葉をまとう
狡猾さとセコさを感じます。
純粋に小さなことでもよりよく改善することを考え、行動している
方もいて、称賛され、尊重されなければならないのだと思います。
話の続きですが、そのような語りをする人達もモノ、カネを語り
たがりますが、モノ、カネを語る際は一定のところで沈黙を促します。
それは長い年月をかけて積み上げた論理が存在し、その流れを
インストールしない事には語ることが出来ないからです。
経営における人事の分野は学際的に、より精度を高めて進化して
います。
俺の採用論、若者論、育成論はほとんどが検証に耐えうるものでは
ない陳腐なものです。
ある分野で極限まで達したと時の採用、育成論はより精度を高めて
進化する人事の目指すところまで一気に飛躍して法則化が見事に
適用出来るケースも存在します。
この陳腐な人材論は居酒屋談義での話題程度で済めばよいのですが、
経営における意思決定を援用する言説に変わる時、ある面では
人の人生や生活にも影響する危険な振る舞いになるのです。
悪質な珍説に翻弄され組織のはざまでもがいている人たちは現実に
いるのですが、このような人たちの真面目に組織をよくしようとする
思いに応えられる方策として表層ではなく本質に近づくことや専門分野
での客観的な法則性を尊重すること、高みからの批判ではなく共同で
検証することが改善への一歩となるのではないかと考えます。

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