何となく使っているけど結構重要な単語【コミュニケーション②】
2014年05月15日
本日の担当:鬼退治
前回の続きで「コミュニケーション」を考えます。
前回ビジネスの現場で蔓延する恣意的なコミュニケーションに
ついて述べてきました。
以前のことです。若手管理職が現状についてやこれからについて
意見交換をする場に参加しました。数人で意見を述べ合い「私は
いまこんなことを考えている」や「こんな取組みをして効果があった」
等々意見が出ました。
好意的に関いたのは参加者なりに現状を把握して置かれた環境をさらに
良くしていきたいという姿勢が保たれていたことでした。
その場では職場で縦横斜めの意思疎通が出来ていないという意見は出ず、
上手くいっているという意見でした。
むしろ現在の行っている方策を発展させていきたいという建設的な意見でした。
ここまでのやり取りを視て、紋切り型の若者論がいかにテキトーかを証明
するものと思いつつ、問題は次の意見交換でした。
参加者よりも上の世代の仕切り役が「今出た意見は全てコミュニケーション
の問題です。」という典型的な自分の都合の良い論理にすり替えて自身の
存在をアピールしたいだけの卑しい手法を展開していました。
意識的にせよ礼儀としてその場は沈黙し、意見の内奥に近づき考えた後に
意見を述べなければならないところを、仕切り役の言うレベルのコミュニ
ケーションに関しては上手くいっていると参加者から意見が出ているにも
かかわらず強引にこじつけていたことは完全に論理の破たんです。
参加者世代は高度なコミュニケーションツールを駆使し仕切り役の世代の
数倍はコミュニケーションを取っているのです。
数やツールではない質とあり方だと反論してきそうですがその世代の
コミュニケーションの質が高いかと言えばそうではありません。
むしろ意思操作をしようとしている方がよっぽど質、量ともに低いのです。
それを参加者の世代は、かようなことを見透かしているところに哀れさを
感じるのです。
(その方のコミュニケーションに問題があることに気づいていないのは自分
だけというお粗末さ。)
これらの言説がまかり通れば業種によってはシステム的に制限されてしまう
現実があるにせよ特性や独自性が封じられる反作用の危険性があります。
今回の場は限定的な場でありますが、このようなことは普通の職場で起きて
いるのです。
ものごとのあり方を捻じ曲げて私的に利用する装置として存在しています。
ちなみにこの場は彼らなりに考え、行動している為話題を発展的な方策の
話で落ち着きました。
相互尊重のうえ情報の澱みなく対象にむかって絶えず流れること。
これが真っ当なものだと考えます。人間の体内で流れに澱みが出来たら?
いずれ・・・・・
そんなことにならないよう
コミュニケーションは何の為、誰の為に?
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