何となく使っているけど結構重要な単語【リーダー】
2014年05月13日
本日の担当:鬼退治
唐突に始めてみますが、「リーダー」は本当にいるのでしょうか。
間違いなく幻想世界での「リーダー」は存在します。
そして「リーダー」はセミナーのテキストや書籍の中に活き活き
と存在します。
それは全ての課題が想定された世界で解決行動がセットになって、
不可能などないかのような全能的なモデリングです。
そのモデルはある部分○○氏の特性、ある部分は○○氏の特性と
いうように各パーツを合成したものがいわゆる「リーダー」です。
残念ながらこのような鋳型にはめたプロトタイプの「リーダー」
は幻想です。
さらに通常流通される「リーダー」は状況論的にこうあるべき
という矛盾を孕んだ物言いにおかしさを感じます。
なぜならば、リーダーはカオス的状況の中から意思決定し、行動
するため、常にリスクにさらされます。
現実では真っ二つに分かれても一方を選択しなければならない
状況や時には既得権、旧弊、習慣、規則に対しても踏み込まなければ
ならない状況もあります。
その過程にはぎりぎりと迫られる緊張状態や人間本来の持つ時間的
思考さえも許さず、時間をかけて形成されたある種の道徳性や
処世や人との関わりをも破壊しかねないこともあり切実です。
その意味でリーダーは「リーダー」とは違い現実に存在するのです。
「リーダー」像を語ったところで大して意味はありません。
リーダーがフォーマットを書き換えるくらいの素養を必要とするなら
「リーダー」のフォーマットで語っても意味がないのです。
また、緊張状態、突破行動で必要な素養の胆力は原体験や経験の過程
で形成されそれこそ参考になりません。教科書的にあつかわれてしまう
ビジネスや政治やスポーツの世界等あらゆる社会の「リーダー」は
多くの場合、毀誉褒貶、賛否両論である層からは熱狂的な支持を受け、
一方からは離反ということもあるのです。
それはフロンティアに踏み込む第一人者であるからこそリスクにさら
されるのだと思います。
そこに切実さや苦悩、そして誠実さもあり、人間的な歓迎すべき弱さ
も活写しなければならないのだと思います。
また、瞬間的に評価が贈られることは珍しく、場合によっては数年後、
数十年後にその功績が称えられる場合もあります。
だからこそ未知の分野に踏み入れた、フォーマットを書き換え、浸透し、
一般化させた功績をもっと称えるべきなのだと思います。
「リーダー」の語られ方は資質や人間性を語っているようで実は大事な
人間的側面が欠落しています。
「リーダー」という単語はビジネススキルの一つの扱いではあまりにも
矮小化され過ぎです。
もっと語るべき重要な単語だと思います。
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