組織と人が縁をもつということ(2)
2014年02月05日
本日のブログ:鬼退治
前回は組織の中に人を迎い入れようと考えた際の振る舞い、思考について
話をすすめました。さらに深めていくならば、採用という線が交わる点において、相互認識の中で期待と、
永続性を姿勢として持ち、良好な関係性を築く基点が生まれます。
ここでは両者の間に熱を帯びた一致点があり、関係性への意志がその時点で存在しています。
しかしながら、多くの場合この関係は変容し、表面化させないまでも、相互了解し得ない部分を残しつつ
矮小化して存続するか、解消するというようなことが多く見られます。
そうではない良縁を維持、発展するケースも当然ながらあります。良縁となり得なかったケースで、
そこに横たわっているのは相互の持つ相いれない異質の幻想です。
この異質な幻想が固有の紡ぎ出す物語とは別に私的な物語として肥大化し互いをけん制しあいます。
その異質な幻想は、ある面では都合よくつなぎあわせ存在しないものを存在するかのように、
また、ある面では手段と目的を取り違えたシステムのフレームの中で逸脱しないようフレームの中に、
さらにフレームを作りそれを実体とするといったようなことが幻想として表出します。
そして、このひずみが現状の問題として表れてきます。
さらにその問題の多くは人材サイドまたは、個別職制に重心を移して語られます。
この語られ方が問題をより複雑にしている原因に感じます。
この問題に対しては、法的な概念だけでない契約または約束を顕在化させることが必要だと思います。
これはどの組織もすでに有していますが、それを表出し、起動させることで人の要件化よりも上位の
概念化が出来ることになり、これが様々な局面で関係性をつなぐことができるのだろうと思います。
また、組織が持つ固有の関係性を媒介として、組織と人のバランスをとり、扱うことで対処療法的な
世界から脱することが出来るのではないでしょうか。
しなやかで、しかも強靭な関係性をつくることがこれからの組織、人をより発展的に活かすもの
にあると思います。
その為には生成する過程を見つめること。さらには、現システムの必然性の有無を見て、無理に、
無自覚に組み込んだのであれば、意識的にシステムからポジションをずらし、組織固有発生以外
の借り物の方法論、制度を徹底的に検証し、見直すことが「採用」「人材育成」というカギカッコ
つきの言葉から自由になります。
だとすれば冒頭の関係で示した不幸な関係が減り、本来の固有の組織または、実体が出来る
のではないでしょうか。
そして、人が組織に縁を感じ、組織が人に縁を感じることが出来るのだと思います。
具体的に考える為に一つの提起として、
採用という過程で実施される「面接」をやめてみてはどうでしょうか?
この話題は次回以降考えてみたいと思います。
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